◇右手が痛い

今年最初のブログです。
遅くなりましたが、本年もよろしくお願いいたします。
さて、今回は私がとても尊敬している、スーパー盲人・藤野先生のお話です。
藤野先生のことは、前に私の本の中に以下のように書きました。
【 藤野先生は戦後すぐ、小学二年生のときに、落ちていた「不発弾」を弟さんと触ってしまいました。瞬間、暴発して、弟さんは亡くなり、藤野先生も両肘から先と、両目の視力を失われました。
 当時は盲学校にも入れてもらえなかったのですが、独学で唇で点字が読めるようになり、病院の看護士さんたちから勉強を教わっていました。
 20歳のとき、ようやく大阪市立盲学校に、中学二年生として入学して、さらに勉強を重ね、通信の大学も修められ、教師の免許も取得。
 母校の大阪市立盲学校の社会科の先生として、定年まで教職に身を置かれていました。
 実際にお会いした藤野先生は、言葉では伝えられないほどの「スーパー盲人」で、はじめてお会いしたときから、私がもっとも尊敬して、もっとも憧れる人になりました。】

去年、その藤野先生から「新しく本を出版するので、私との出会いや思い出などエピソードを書いてもらえませんか?」というお話があり、以下のようなことを書きました。
藤野先生から「車椅子の指揮者」、ジェームズ・デプリーストさんの『障害を壁と思うか、扉と思うか、それは本人次第』の言葉を教えてもらったこと。
藤野先生にお会いする度に、新しい挑戦のお話を聞かせてもらい「藤野先生の前では、絶対に‘出来ない’の言葉は言えないな」と身と心が引き締まるのです。
そんな内容の文章をかきました。
その本が昨年の暮れに出来上がり「録音CD」を添えて、私のところにも届きました。
175人の方が藤野先生との思い出を書いておられます。
これまで藤野先生が、どれだけ大変なご苦労をし、多くの方と関わり、その関係を大切にして来られたかがよく伝わって来て、感動の涙で読ませてもらいました。
さて、話は変って。
去年の暮れに無理を掛けてしまったのか、右の手首を痛めました。
そのうち治るだろうと思っていたのですが、未だに痛みが残っています。
これまで何も考えていませんでしたが、意外と右手首を使うことが多く、その度に「痛ててっ」と、顔をゆがめています。
例えば愛犬の盲導犬・ミッケルのブラッシングの時なども、沢山右手を使っています。
痛いから左手でやろうとするのですが、なかなかうまく行きません。
慣れない左手で頑張りながらも、どうしても右手で補うことがいっぱいあります。
「うーん、痛いなぁ…」と憂鬱になる私でした。
ちょうどその頃、藤野先生の本を読ませていただき、ふと、思いました。
「痛みがあるのは、右手があるから。 藤野先生は右手も左手も失ってから75年間を生きて来られました。 どんなに、どんなにご不自由だったろう…」と想像していたら、涙がこみ上げてきました。
「この痛みを感じるということは、痛みを感じることが出来る腕に感謝すること」と思うようになりました。
腕だけでなく、足も、腰も、全部全部…。
去年最後のブログでは、バングラデシュから来日されたジャケルさんとの出会いで、「日本に生まれたこと、当たり前に生活出来ていることなど」に対する感謝に気づいたと書きました。
去年から今年へ、感謝リレーです。
今年は、今まで見えていなかった「感謝」を見つける一年にします。
あっ、今これを書きながら「右手の痛みを忘れていたこと」に感謝です。 
ニコッ!  亀ちゃん
※写真はミッケル、正月に「虎の威を借りてみました」です。(笑)

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