◇松山盲学校で講演会
10月22日
気持ちの良い秋晴れの朝です。
私を乗せた新幹線が風を切って、走り出しました。
今日の私の行き先は愛媛県立松山盲学校です。
「ようやく、この日が来たかぁ」と、あの日を思い出します。
あれは私が自信をつけるために「全国47都道府県・一人旅」を始めた名古屋でのことです。
「すみませーん」を言い慣れるために始めた一人旅でしたが、それを知らないで助けてくれる人は、ご自分の用事は置いておいて、わざわざ遠回りをして私を助けてくれます。
私は「ありがとうございます。お急ぎでないですか?すみませんね」とお礼を言いながら心が痛みました。
「自分の‘わがまま’で、こうして人に迷惑を掛けて良いのだろうか…。この先、まだまだ沢山の方に迷惑を掛けてしまう。このまま続けていいんだろうか…。」
でも、その時に考えたのが「今は沢山の方に助けていただき、迷惑を掛けるばかり。
だけど、この全国を回った後の私は、絶対勇気と自信を手に入れているはず。
その時は社会の皆様に対して、必ず、必ず恩返しをさせていただきますから、どうぞ今は、私の‘わがまま’を許してください…。」と、誓いました。
私の著書「幸せの入り口屋 いらっしゃいませ」の出版記念講演を開く時、「この講演会の収益金を使い、全国の盲学校を周り、私のような中途失明の人や、子供達、そしてお父さんや、お母さんに私の話を聞いていただき、少しでも、ほんの少しでも未来に新しい幸せの入り口を見つけていただきたいな」と、志を立てました。
私の出身の盲学校の校長先生を通じて、全国70数カ所の盲学校の校長先生宛に私のメールを送ってもらいました。
続いて、全国の盲学校の校長先生宛に、私の思いを書いた手紙と私の本を贈らせていただきました。
そんなことがあり、今回の松山盲学校に行かせていただくことになりました。
嬉しいです。
「ようやく、この日が来たかぁ」です。
この後、出会わせていただく大切な皆さんに、私の感謝と皆さんのお幸せを祈る気持ちを、お伝えして来ます。
岡山から松山に向かう特急「しおかぜ」が私の「ワクワク」を乗せて、快適に走っています。
松山駅には、校長先生と慶子先生が迎えに来てくださっていました。
大体こんな時は、相手の方が盲人に慣れておられないので、まごまごされるケースが多いのですが、スムーズな介助に、さすがプロと思いました。
「はじめまして」とても感じの良いお二人で、一瞬にして安心出来ました。
盲学校に着き、いよいよ体育館へ。
愛媛県立松山盲学校、創立111年の記念式典の2部の講演でした。
小学生から大人まで、教師の皆さんを含め、総勢80名の方達です。
講演が始まり、先ず自己紹介をしました。
ここは盲学校ですから、盲学校用の自己紹介をしました。
「西亀真と言います。身長は180センチ、体重は73キログラム、ゴミよけの目がねを掛けていて、めっっちゃイケメン(…じっくりためて)と言って欲しいと思っています」と話しました。(笑)
後はいつものように、全国47都道府県と、ニューヨークの一人旅の話などをしました。
皆さん真剣に聞いてくれ、とても話しやすかったです。
終わって大きな拍手をいただきながら「ありがとうございます。私の長年の思いを叶えていただき、ありがとうございました。」と、深々と頭を下げました。
最後に退出の時のお見送りの拍手が、私が体育館を出てからも聞こえていました。
ありがたいなぁと思いながら、「そうか、感謝の気持ちを込めて拍手をしてくれているのもあるだろうけど、もし、私なら目が見えないので、もう体育館を出たのか、まだなのかが分からないから、拍手を止めないかもね」と、ふと、そんなことを思いました。
今回、本当に行かせていただいて良かったです。
皆さんの心に何か一つでも「幸せの入り口」を見つけていただけたなら、こんな嬉しいことはありません。
私と同じように盲人としての道を歩く、彼たちの幸せを心から祈りました。
この機会を作ってくださった校長先生に、心から感謝いたします。
「幸せの入り口屋」亀ちゃん
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