◇過ぎてしまえば…
「緊急事態宣言」の全国解除が、先日出されました。
全国のみんなが、この日をどれだけ待ち望んでいたか…。
みんなで頑張った甲斐がありました。「どうなるのだろう」の不安が大きかったので、本当に嬉しいです。 一方、まだまだ経済の復興や、第2波の心配など大きな問題が残っています。
テレビで飲食店のオーナーの方が将来の不安と、悲痛な叫びをあげておられました。 それを見ながら「どんなに不安なことでしょう…」と、心が痛みました。
また、コロナうつや、コロナ離婚、コロナ自殺などの話を聞くと、「何とか、何とか 、今を乗り切って…」と祈る思いです。
そんなことを思っていたら、去年に「れいろう」という月刊誌に載せていただいた私の投稿記事を思い出しました。
以下がその文です。
★『母に憶う』
お母さんは、けがをしても、やけどをしても痛くない、風邪をひいてもしんどいことはないんだ。朝も眠くないんだ。
幼い私に、そう思わせるほど、いつも周りに優しく、辛い顔を見せない母でした。
私は三十九歳のときに「将来、目が見えなくなるかもしれません」と、医師から目の病気を告げられました。でも、それを両親に伝えたら「どれだけ悲しみ、嘆くだろう 」と考え、どうしても話すことができませんでした。
ところが、カウンセラーとなって、「一番痛みを分かってくれる人に聞いてもらわないと、この悲しみは流れない」と、考えるようになりました。
そして、里帰りしたある日、両親に思い切って打ち明けました。
「目の病気で、だんだん見えなくなっているの」
そのときに母はひと言だけ言いました。
「そぉ……、これまで言えなくて辛かった ねぇ……」。
ハラハラ涙をこぼすのです。
父は、「泣いている場合じゃないだろう 。 これからどうするかじゃ」と、母に言いました。
私がトイレに行ったとき、父が話している声が聞こえてきました。
「どこの世界に子供の目が見えなくなると聞き、泣かない親があろうか。わしも泣きたいんじゃ。でも、今は泣いている場合じゃないんじゃ。これからどうするかを考えてやらんといかんのじゃ」
私は、声を殺して泣きました。
父と母の愛の大きさを、あらためて感じました。
「父の威厳と、母の慈愛で、子は育つ」と言いますが、本当にそんな両親でした。
十年が経たったある日、なんでも自分でやれるようになった私に向かって母が「私は、まこちゃんが目が見えなくなったことを忘れることがあるんよ」と言ってくれました。
私は「そりゃあそうでしょう。ぼくも目が見えなくなったことを忘れているんだから 」と。
きっと今では両親共に安心し、天から見守ってくれていることでしょう。
この両親のもとに生まれたことに心から感謝します……。★
私はカウンセリングの中で「過ぎてしまえば、笑って話せる時が来る。だから今、あきらめないで」の言葉を大切にしています。
笑って話せる時が、一日も早く来てくれますように…。 亀ちゃん
※盲導犬「ミッケル」と暮らすようになり3ヶ月が過ぎました。
ミッケルは「木のおもちゃ」が大好きで、夢中になります。 にこっ!
0コメント